野毛山動物園のサル舎で生活をしているアビシニアコロブスは、キクユさんとアテネさんの二頭のお母さんを中心とした家族です。この二頭のお母さんたちは、我が子も他人の子も分け隔てなく、お互いに協力しながら子供を育ててきました。
エダマメ君が生まれた翌日には、アテネおばさんが胸にやさしく抱いて、面倒を見ていました。アテネさんの子供、アズキちゃんやダダチャ君もキクユさんの手助けで、大きくなったのです。このように育てられたせいか、キクユさんが二週間ほど入院して帰ってきたときに、真っ先に駆け寄って抱きついたのは、自分の子供ダイズ君ではなく、アズキちゃんでした。今でもアズキちゃんがキクユさんに、一生懸命に毛繕いをしている姿をよく見ます。
どの子供たちとも一緒に遊んだり、風通しの良い場所で寝そべったり、大好物の木の葉を食べたり、平和な二つの家族です。そして多少子供たちに悪ふざけをされても、めったに怒らないキクユさんとアテネさんです。
例えば、子どもたちは追いかけっこをよくします。追われて木に飛びついたり、枝から飛び降りる時の踏み台やクッションに、キクユさんたちの頭や背中が使われます。子どもとは言え、ダイズ君やアズキちゃんの体は、大人たちとそれ程変わりません。この踏み台やクッションには、飼育職員の頭も時々使われますが、いきなり木の枝から飛び降りられると、かなりの衝撃があります。キクユさんたちには、もっと強い衝撃になるはずなのですが、子どもたちは怒られた事がありません。
また、止まり木に座っている時に、そのシッポにぶら下がられても、怒りません。きっと重たいでしょうに。さすがにシッポに飛びつかれた時は、よろけて止まり木をつかみ直す事もありますが。それでも、怒られる事はまずありません。もしかして、コロブスのシッポは、体のバランスをとるだけでなく、ブランコの働きもするのでしょうか。とにかく子供たちには、寛大な二頭のお母さんたちです。

ところが、食べ物を前にするとキクユさんだけは、いささか様子が変わってきます。キクユさんは、おっとりしているようでも、実は短気でけんかっ早く、特に食べ物に関しては自己中心的なところがあるのです。
子供たちが食べている物でも、ごくふつうに取り上げて食べてしまいます。まだ自分のお乳を飲ませているエダマメ君の食べ物ですら、取り上げて食べてしまうのです。子供の食べ物だって、キクユさんには自分の食べ物と同じなのです。
しかし子供たちも、いつも取られてばかりはいません。『ヤダヨ!』と手から離さないこともあります。すると、短気でけんかっ早いキクユさんです。『何〜っ!』というような顔つきで、子供を睨みつけます。やさしく穏やかだった目は、瞬時にしていささか吊り上がりぎみの恐ろしい目に!相手を覗き込むように目をむき、やや体を前に倒して口を半分開いて、脅しのポーズです。このポーズの後は、ひったくるように奪い取ります。
それでも離さないと、今度は子供を相手に暴力沙汰です。頭の毛をつかんで引き倒し、時にはかみ付くことも。今までのやさしいお母さんとは、とても思えません。もっとも子供たちももう大きいので、いつまでも奪われてばかりはいません。食べ物を持って、スタコラと素早く逃げてしまうことも多いのですが…。
食べ物でのイザコザは、一目置いているアテネさんともあります。好物のジャガイモを食べているキクユさんのところに、アテネさんがやってきました。すると、ジャガイモを背中で覆い隠すようにして、妨害するのです。仕方なくアテネさんが、キクユさんの背中越しに手を伸ばすと、いつもの癇癪を起こして、目をむいて口を半開きにした表情の挙句、伸ばした手を払いのけたばかりか、たたいてしまったのです。あまり怒る事のないアテネさんですが、このときばかりは怒り、キクユさんの頭の毛を両手でつかみ、引きずりまわしました。体力的にはアテネさんが勝ります。すぐに勝負はつき、アテネさんの背中に抱きついてキクユさんが謝り、このイザコザは一応解決を見ました。

またこんな出来事も。職員が寝室で、大好物のピーナッツをプレゼントする時があります。プレゼントに気付くのが遅れたキクユさん。急いで運動場から駆けつけ、怒りました。自分の不覚を棚に上げ、子どもたちを追い払い、更に職員にも『何で教えないんだ!』とばかり脅した挙句、両手を出して職員の手を引っかきます。遅れを取り戻すかのように、職員からかきむしるようにピーナッツを奪い取ります。
ところが、短気でも気の良いキクユさんです。急いで奪い取っても、一つずつていねいに食べています。その隣では、そっとおとなしく手を伸ばして、一度に三つも四つもピーナッツをさらっていくアテネさんの姿が。短期は損気。人間の世界ばかりではなさそうです。そして、この食事が終われば、再び穏やかな顔に戻るキクユさんです。
(ふぉ〜し〜ず〜ん28号より)